M-1の審査にケチをつけたがる人への違和感

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M-1グランプリ2018決勝進出が決まった9組。左からギャロップ、トム・ブラウン、ジャルジャル、スーパーマラドーナ、かまいたち、見取り図、ゆにばーす、霜降り明星、和牛(写真:日刊スポーツ)

12月2日、お笑い界最大のイベントが行われました。漫才日本一を決める『M-1グランプリ(以下、M-1)』です。その注目度や影響力はほかのお笑いコンテストとは比較になりません。普段はそれほどお笑いを熱心に見ていなくても、『M-1』だけは必ずチェックするという人も珍しくありません。毎年12月に生放送される決勝戦の模様は、年末の風物詩としてすっかり定着しています。

もちろん、出場する芸人にとっても『M-1』は格別に重要なイベントです。決勝に進んで優勝したり目立ったりすれば、一夜にしてその芸人の人生が変わります。まったくの無名だった芸人がその日からスターになれる可能性がある。『M-1』はまさに夢をつかむためのイベントなのです。

最近の『M-1』に対する違和感

ただ、『M-1』に関して少しだけ気になることがあります。大会が終わると、視聴者がSNSなどでそれぞれの感想をつぶやき合います。その中で、「審査結果に納得がいかない」「あの審査員の審査はおかしい」などと、審査内容に関してあれこれ意見を書き込む人が目立つのです。

テレビ番組をどう楽しむかはその人の自由なので、それ自体が悪いとは言いません。それも『M-1』の楽しみ方の1つでしょう。ただ、個人的な印象としては、『M-1』を見た人の多くが、審査のことばかりを過剰に気にしているような気がするのです。

『M-1』はお笑いコンテストであると同時に、1つのバラエティ番組でもあります。本来、笑いで勝ち負けを決めるのは不自然なことです。大会や番組をよりエキサイティングなものにするために、あえて審査を行って点数をつけているだけなのです。視聴者側は審査の結果をあまり深刻に捉えずに、そういうものとして楽しむというのが健全ではないでしょうか。

もちろん審査自体を味わう楽しみを否定するつもりはありません。ただ、審査ばかりに気を取られて、本来の「漫才の面白さ」に目が向かなくなることがあるとしたら、それは本末転倒ではないかと思うのです。

『M-1』で決勝に進んだ10組の芸人は、いずれも漫才の世界で頂点に近いところにいる超一流のプロばかり。便宜上、1位から10位までの順位が決められるわけですが、基本的には全員が全員とてつもなく面白い。勝者と敗者の間には紙一重の差しかありません。

今回、優勝を果たしたのは霜降り明星ですが、優勝を逃した9組も実力では全く見劣りしません。『M-1』は番組の形式上、コンテストの形をとっていますが、10種類のハイクオリティな漫才が楽しめるお笑い番組として見るのがちょうどいいのではないかと思います。

敗れた9組の中でも特筆すべきは、準優勝の和牛です。彼らは最終決戦でわずか1票差で霜降り明星に敗れ、優勝を逃してしまいました。和牛はこれで2016年から3年連続で準優勝ということになります。

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M-1優勝を意気込む「和牛」の2人(ボケ役の水田信二のインスタグラムより)

年々レベルが上がっている『M-1』で「3年連続準優勝」というのは、実質的には「優勝」と同じかそれ以上に価値のあることだと思います。その実績が示しているとおり、和牛が披露した2本の漫才はどこからどう見ても文句のつけようがない傑作でした。

過去の自分たちを超え続ける「和牛」

彼らが1本目に披露したのは「ゾンビ」をテーマにした漫才。ボケ役の水田信二さんがツッコミ役の川西賢志郎さんに対して「ゾンビに噛まれて感染したら俺のことをちゃんと殺してくれるか不安だ」と非現実的な心配事を口にして、そこから2人の掛け合いが始まります。「どういう状態になったら殺してもいいのか」ということに関して主張が対立して、議論が白熱していきます。そして、見る者の想像を超える意外な結末へとなだれ込んでいきます。クールな水田さんと、人の良さそうな川西さんのキャラクターの違いを生かしたネタです。

2本目に披露したのは「オレオレ詐欺」をテーマにした漫才。自分の親がオレオレ詐欺に引っかからないように、水田さんが自ら母親に電話をかけてオレオレ詐欺を仕掛ける、というものです。子供が実の親にオレオレ詐欺をはたらくというのは現実的にはありえない設定ですが、偏屈なキャラクターの水田さんが堂々とした態度でそれをリアルに演じています。

どちらの漫才にも共通しているのは、ネタの構成力が圧倒的に優れているということです。導入で「どんな展開になるんだろう?」と興味を引きつけておいて、終盤で意外なオチを用意しています。

そして、その上質なネタを演じる2人の話し方や芝居の技術も卓越しています。2本目のネタの結末部分で、2人が何も言わずに向き合ってにらみ合う場面では、言葉を使わずにその演技だけで大きな笑いを起こしています。これは名人級のテクニックがなければ不可能です。

何年も連続して『M-1』の優勝争いに絡むというのは本当に大変なことです。和牛の偉大なところは、『M-1』に挑むにあたって、毎年違う形のネタを用意してくるところです。前年と同じようなネタをやればどうしてもインパクトに欠けて評価が低くなってしまう恐れがあります。彼らは『M-1』で勝つために新しいパターンのネタをどんどん作り続けています。その苦労は想像を絶するものでしょう。

もはや彼らにとって本当のライバルは、霜降り明星でもなければジャルジャルでもなく、過去の自分たち自身です。「和牛の漫才は面白い」ということがすっかり知れ渡っている中で、そんな世間の期待を超えたネタを作って、結果を出さなくてはいけない。4年連続決勝進出、3年連続準優勝という圧倒的な実績は、そうやって自分たち自身を常に乗り越え続けた苦労の末に達成されたものです。

「漫才を楽しむこと」が本質だ

『M-1』に関して、何かと話題になるのはいいことだと思いますが、ゴシップ的な話ばかりに人々の興味が向かっているのは残念なことです。10組の芸人がそれぞれ個性を発揮して、10通りの面白い漫才を見せてくれたということを、もっとしっかり味わって楽しむのが望ましいのではないでしょうか。

特に、構成も技術も優れている和牛の漫才の面白さについてあまり語られていないのはもったいない。優勝した霜降り明星が面白かったことに疑いの余地はありませんが、和牛も同じくらいのことをやっていました。その点を素直に讃えたいのです。

これまで『M-1』で傑作ネタを数多く「消費」してきた和牛に対して、さらなる進化を求めるのは酷なことかもしれません。しかし、彼らならきっとやってくれるはずです。来年の『M-1』でも、和牛が優勝候補の筆頭であることに変わりはありません。この経験を踏まえて、当代随一の実力派漫才師がどんなネタを見せてくれるのか今から楽しみです。